先輩ママとプレママのコミュニティマガジン「ミーツマグ」

Vol.14 あの大震災が教えてくれたこと、きっと忘れない!

みんなの震災体験をシェアしよう

2011年3月11日、東北地方を襲った未曾有の大地震。津波の被害、原発事故による放射能汚染の問題など、震災から3年が経とうとするいまも大きな傷跡を残しています。家族の絆、安全神話の崩壊、報道に対する不信など、私たちの価値観も大きく変化しました。この体験を忘れず、震災を風化させないよう、みんなで語り合いましょう。

いつ起こるかわからない災害—ママたちができること

家庭内での防災意識を高めよう!

保育園や幼稚園では防災訓練を行なっているけれど、自宅にいるときに災害が起こる場合もあります。自宅から一番近い避難所の場所や、安全なルートなどを確認し、実際に子どもを連れて歩いてみましょう。子どもにも、日ごろから地震があったときの対処を言い聞かせ、家庭内でも机の下にもぐる、防災バッグの置き場所の確認など、防災訓練をやってみて。

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防災グッズは何をそろえればいいの?

色々なメーカーが発売している防災グッズ。災害時に必要なものが一式になってリュックや袋の中に入った商品もあります。小さな子どもがいる家庭では、どんなものをセットしておけばいいか、チェックしておきましょう。背負って逃げることを考えて、全体の重さが3キロ程度になるように調整しましょう。
□水
□救急セット(薬・消毒液・絆創膏)
□アルミブランケット
□レインコート
□携帯トイレ
□紙オムツ(布オムツは手ぬぐいで代用できる)
□マスク(避難所での感染防止)
□除菌ウェットティッシュ
□哺乳瓶・粉ミルク
□下着
□着替え(子どもは目立つ色のもの)
□アイマスク・耳栓(避難所で就寝時に)
□食料(カロリーバー、カンパンなど。賞味期限に注意)
□発電機つきラジオライト
□ホイッスル
□軍手

ご近所とコミュニケーションを

日ごろから、何かあったときに声を掛け合えるような顔見知りを作っておくと心強いです。マンションの管理組合や町内会が主催する防災訓練に参加しておくのもいいでしょう。近所に一人暮らしの高齢者や体が不自由な人はいないかを把握し、避難するときにどういったサポートが必要かも知っておくこと。

From meetsclub

a:氏名 b:年齢 c:子供の年齢 d:職業 e:お住まい

a:酒井さん b:34歳 c:3歳女の子・1歳男の子 d:アルバイト e:神奈川県

震災後は鉄分不足で貧血に

 一人目は、バランスの良い食事を心がけて積極的に鉄分をとっていたんだけど、二人目のときは貧血になってしまい、薬を処方されたの。ちょうど震災の直後に妊娠が判明して、原発の問題があってから放射能汚染が心配になり、北関東の食材を摂らないようにしていたの。食べられるものの選択肢がかなり減ってしまい、鉄分不足になった。

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a:村田さん b:37歳 c:7歳女の子・2歳女の子 d:専業主婦 e:神奈川県

家を離れるのが不安に…

 一人目を妊娠中、安定期に入ってから北海道に記念旅行に行きました。二人目のときも計画していたのですが、体調が落ち着いた頃に震災が起こって、旅行どころではなくなりました。

a:小潟さん b:38歳 c:3歳男の子 d:専業主婦 e:東京都

トラウマで息子と二人きりで外出できない

 息子がまだ三ヶ月のとき、家で授乳をしているときに震災を経験。すぐに息子を抱っこひもで抱え、夫が帰宅するまで不安で下ろすことができなかった。実家が千葉県の海沿いにあったため、TVから流れる津波の映像に実家の両親を案じながら、帰宅困難者になった夫のことも心配で、これまでにないくらい不安な時間を過ごした。震災後一年くらいたっても、息子と二人っきりで外出することは夫が同伴でないとできなくなった。二人きりでは怖くて遠出ができない。

a:野戸さん b:40歳 c:9歳女の子・4歳女の子・1歳女の子 d:ボイストレーナー e:東京都

マクロビ生活で妊娠!?

 震災後、放射能のことが少し気になったので素材に徹底的にこだわるマクロビ的な食生活にしてみた。すると三人目の妊娠が判明。普通は、一人目に神経質になり、二人目、三人目と段々ルーズになっていくというが、震災の影響で妊娠中に一番気を使ったのが三人目だった。

a:加藤さん b:37歳 c:3歳女の子 d:スタイリスト e:東京都

食材は産地にこだわる宅配に

 出産直後は母が手伝いに来てくれていたので,買い物は任せてたんだけど、母が帰ってからはスーパーで買うのはやめ、産地が選べるパルシステムにしました。震災で原発事故があった後だったので、できるかぎり安全な食材が欲しかったので。パルシステムは、赤ちゃん向けの商品も多くて、離乳食のとき助かったので、いまでも続けてます。

a:MAMIEさん b:39 c:6歳女の子・3歳女の子・1歳女の子 d:料理家・ブロガー e:東京都

放射能から逃れ臨月で西へ疎開

 二人目を妊娠中に震災があり、急遽、放射能の影響から逃れるため、夫の実家がある香川県へ避難。臨月間近だったので、転院先を見つけるのに苦労しました。その後は、飛行機に乗るにも医者の同意書が必要だったり、まだ小さい上の娘たちを連れて荷物を抱えて、かなり大変でした。東京にとどまり不安を感じながら出産するより、思い切って疎開して良かったと思います。東京の産院と比べたら病室も広々としていて、出産費用もとても安くてビックリしました。

a:黒田さん b:34歳 c:4歳女の子・2歳男の子 d:看護師 e:東京都

大きなお腹を抱えて何時間も歩いた日

 二人目を妊娠中、切迫早産気味だったのでとにかく安静にしていたのですが、震災があって帰宅困難者となり、何時間も歩いて職場から帰宅したらお腹が張ってしまって、しばらく寝たきりになってしまった。

a:Sさん b:39歳 c:5歳男の子 d:フリーランス e:東京都

放射能対策で実家と対立

 震災後、水や食べ物など、かなり神経質になっていた我が家と比べ、神奈川県の実家は「被災地を食べて応援」派でした。大人には自分の考えがあり、どういう結果になろうとも自己責任でしょうが、まだ言葉も分からないような子どもにはできる限りリスク排除してあげたい、というのが私の考えです。が、どんなに話しても理解を得られず、実家に息子を預けられなくなりました。

大震災を経験したママからのアドバイス

先日、東日本大震災を風化させないように語り継ぐ「出張語り部プロジェクト」にミーツマグが参加。宮城県の南三陸町で大地震と津波を経験したママたちに、乳幼児を連れての避難所体験や、ママ目線での防災の心得を伺ってきました




語り部ママ 高橋志保さん

南三陸町在住の二児のママ。震災当時上の子は3歳、下の子は3ヶ月だった。


途切れた防災無線…わずかな差で津波を逃れる

2011年3月11日、家族と海岸線から3キロ離れた自宅ですごしていたという高橋さん。「立っていられないほどの強い揺れの後、どうしよう、念のため逃げた方がいいのかな、とオロオロしていたら、『6mの津波が来ます、避難してください』と繰り返していた防災無線が途中でブツッと切れたんです。あ、これはおかしい!と急いで子どもを乗せて車を高台へ走らせました」


あと少し判断が遅れていたら、高橋さんと子どもたちは車ごと津波に飲み込まれていた。避難する車で国道は大渋滞。一瞬前があいた瞬間、アクセルを踏み込んで助かったのだという。
「バックミラーですぐ後ろの車が黒い水とがれきのかたまりにさらわれていくのが見えました」と高橋さん。
緊急時こそ冷静に周囲の状況を把握して、どう動くか、瞬時に判断することが重要。指示を出してもまだ理解できないような小さな子どもには、親が落ち着いた態度を示し、親のそばにいれば安全、と思わせると避難がスムーズになる。



避難所は極限状態…備えておけることは?

「水も食料も十分にない中、避難所は衛生状態も悪く、3ヶ月だった下の子は何度もロタに感染して病院に運ばれました。赤ちゃんの好き嫌いをなくす訓練もしておいたほうが良いと思います。支援物資の離乳食が苦手なものだったとしても、それを食べられないと助かる方法はないからです。うちの子はミルクアレルギーだったんですが、アレルギー用のミルクが届いたのは、通常のミルクより1か月半も後でした」
非常袋の中にマスク、除菌ができるスプレー、水がなくても手や顔の汚れが落とせるウェットティッシュ、うがい用のマウスウォッシュ、などを常備しておくと避難所での感染症対策に。また、家族にアレルギーがある場合、アレルギー用の食品をすぐ持ち出せるように準備しておくべき。

「当時3歳だった上の子は、避難所で余震に怯えてしまって大泣きするように。PTSDになってしまったようです」


小さな子どもの心のケアの問題も、被災地の大きな課題になりそう。実際に被災していなくても、震災や津波の映像をニュースで繰り返し見るうちにPTSDになってしまった例もあるので、家庭での情報の取り入れ方にも要注意。


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語り部ママ 工藤望さん

秋田出身、南三陸町在住のママ。震災当時お子さん(娘)は12ヶ月。


日ごろの防災訓練が功を奏して

結婚を機に宮城県三陸町に引っ越してきた工藤さん。
「出身が秋田の山の方なので、津波のことはよく知らなかったんです。この地域は、ずいぶん頻繁に避難訓練をやるんだな、と不思議に思っていたくらい」
その印象が、かえって工藤さんを迅速な避難へと駆り立てた。
「揺れの直後、すぐに子どもをタオルにくるんで外へ出ました。どうせ後で取りに戻れるだろう、くらいの気持ちで、紙オムツ4枚と携帯電話だけを持っていつも訓練で行っていた高台に逃げました」
45分後、三陸町を津波が襲う。その大きさを目の当たりにし、16mの高さにあった避難場所も危ない、と感じ、さらに山の方へと走って逃げたという。振り返ると、住んでいた町がすべて流されていた。 「子どもには、とにかく揺れたらすぐ逃げる、と徹底させて。大人も油断せず、必ず避難すること。そういう姿を子どもたちに見せて。どこに逃げるか、家族と相談しておくことも大切。あのときは、家族を助けに行ったり探しに行ったりして亡くなった方が多いんです」



清潔な水が貴重品になる

「3月11日は、春先でもとても寒い日で、雪が降っていました。避難先の小学校には、被災者の人数分の布団などありません。布団や体操のマットは老人、病人が優先で回ってきませんでした。なんとか頼み込んで小さなひざ掛けを一枚もらい、娘にかけました」
暖房器具も寝具も十分ではない避難所でしばらく過ごすことを想定して、非常袋に防寒具やアルミ毛布を用意しておくことを忘れずに。水が貴重になると洗濯は後回しになるため、着替え用の下着や靴下もあると安心。
「避難所はみんなが泥のついた靴で歩き回ります。そこを娘がハイハイしたがるのですが、汚れた手を洗ってやる水もないような状況では自由に動き回らせてやることはできず、ダメ!ダメ!と娘を押さえつけるのが辛かったです」


子どもが小さいために優先して入れた仮設住宅にも、はじめのうちは水道も引かれていなかった。お風呂に入れる、汚れた肌着を洗う、という当たり前の育児もできず、気分が落ち込んだ日もあるという。 「避難所でも仮設でも、清潔な水が貴重になるのですが、そんなものをかき集めて持っていたら逃げ遅れてしまう。本来は避難所に指定された場所に、十分な寝具、食料、水が用意されているべきなんです。子どもに理解のある人たちばかりではないので、ママが人目を気にせずにお世話ができる授乳室やオムツ替えスペースも欲しかった」と工藤さんは苦言を呈する。

この震災を教訓にして、各地の行政が対策を強化してくれることを願い、ミーツマグからも声をあげ、ママたちの防災意識を高めるべく、今後も特集していきます!

Information

南三陸町復興応援プロジェクト
http://united-earth.jp/minamisanriku//
From mama この記事を読んでくれたママからのメッセージです。
chancoさん
 阪神淡路大震災で被災し、両親が被災地で生活を立て直している間、当時中学生だった私は兄と2人で親戚の家にお世話になっていました。約20年前の話ですが、当時も周囲の人々が協力し合って子ども達を守ってくれていました。
大人になった今、今度は自分が子ども達を守っていかねばなりません。
そのためにも、常日頃から準備・対策を怠らず、いざという時に気持ちを強く持てることが大事だと思います。

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Miho*さん

関西でも・・・

 震災当時は、大阪に住んでいました。
勤務先で、長い横揺れを感じ、すぐさま携帯で調べると、まさかの震源地に絶句・・・。
周りの同僚に伝えると、最初は冗談だろうと信じてもらえなかったぐらいです。
大阪は幸いにも震度3程度ではあったのですが、主人と私の実家は東京だったため、すぐに連絡。
最初は電話がつながらなかったのですが、LINEで無事だとの返事があり、安心したのを覚えています。
3.11を迎え、改めて自宅の防災グッズ、避難経路の確認をしようと思いました。
ほしさん

地域の人と交流を!

  あの日は息子はまだ3ヶ月でした。
主人からも連絡が全くなく不安で不安でした。
オムツに水を買うことに走り回ったり普通の生活のありがたさを感じました。
昔から地域にすむ同じマンションのご老人が住んでいる土地の地盤のことや防災用品の揃っている場所などお話をしてくださいました。
日頃から地域住民の繋がりの大切さもかんじました。
モモさん

避難グッズ

  我が家の避難グッズは、市販の離乳食の月齢が変わるタイミング(5.7.9.12)で見直すようにしていました。1歳をすぎてから、ほぼ大人と同じものを非常食に用意できるようになりましたが、2ヶ月くらいのペースで見直すようにしたいです。
また、備蓄として、常にお米5キロ・ミネラルウォーター2ケース・ガスボンベはきらさないようにしています。
Nobuさん

語り部ママの話に鳥肌…。

  震災の話は辛くて、あまり聞かないように避けてきたところもあります。
でも、同じ小さな子どもを育てる母として、南三陸の語り部ママの話は本当に心が震える話でした。
いつ何が起こっても、自分の家族を守れる強い気持ちを持ちたいと思いました。
ゆきさん
 私の地元は東日本大震災の被災地なのですが、震災当時は関東に住んでいたため私自身の被災は免れました。幸い、実家や家族友人も無事でしたが震災後は電気も水もガスも止まってしまい約一ヶ月ほどかなり不便な生活をしなければならなかったようです。ただ、日頃から長期保存できる缶詰めなどの食料はたくさん保存していたので食べることには困らなかったのでなんとか生き延びられたと話していました。炊き出しも、家が被災していない人はなかなか行きにくい雰囲気だったそうです。色々備えなければいけないことはあるけれど、食べるものがないのは本当に辛いと思うのでせめて数日分の食料くらいはきちんと用意しておかなければと思います。
つけておくだけだからとってもカンタン!MiltonCPでラクラク除菌

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